新曲「オリーブの樹の下で」に歌詞を書きました♪。

旧約聖書のなかの『雅歌』の章は言ってみれば熱い!ラブソング集です。

そのまま男女の愛と捉えることも出来るし、神様と神様を信じる者との愛、と捉えることも出来るそうですが、本当に情熱的で自然でおおらかな。。。

そうだ、愛ってこういうものだよネ!

とあらためて感じ入ってしまう美しい詩が、コール&レスポンスのかたちで書かれています。

ーエルサレムのおとめたちよ

野のかもしか、雄鹿にかけて誓ってください

愛がそれを望むまでは、

愛を呼びさまさないと。(2章:7)

ー恋なすは香り

そのみごとな実が戸口に並んでいます。

新しい実も、古い実も

恋しい人よ、あなたのために取っておきました。(7章:14)

ー愛は死のように強く

熱情は陰府(よみ)のように酷い。

火花を散らして燃える炎。

大水も愛を消すことはできない。

洪水もそれを押し流すことはできない。

愛を支配しようと

財宝などを差し出す人があれば

その人は必ずさげすまれる。(8章:6)

非常に難解、膨大過ぎで近づき難い。。。そんなイメージの旧約聖書。私も新訳までは何とか読んでいたものの、旧約の通読。。。なんて無理無理!考えたこともありませんでした。

ユダヤ教の全知全能の神・ヤハウェと、神が自分に似せて造られた「人間」が愛を成してゆく物語。。。だった筈が、最初の人間・アダムとエヴァがサタンの策略に騙されて堕落してしまい、創造主は二人を罰した。エヴァには出産の苦しみと、生涯男を求め男に支配されるという罪。アダムにはパンを得る為に、死ぬまで汗を流し労働し続けなければならない、という罪。それがよく知られた『創世記』の始まりです(聖書はサタンの実在についてハッキリと言及した、世界で唯一の書物です。)

映画化もされた「十戒」、目の前の海が真っ二つに割れて道が出来る有名なシーンを擁する『出エジプト記』は、エジプトで奴隷に甘んじていたイスラエルの民を約束の地・カナンへ導く。。。という神様の使命を受けたモーセの物語です。志半ばで倒れたモーセの後にその使命を引き継ぐヨシュアの姿を描いた『ヨシュア記』、

義人のヨブが財産や名誉や家族、持てる総てを奪われ、それでも神様への信仰を捨てなかった為に最後には救われ、かつて持っていたものよりさらに多くを与えられる『ヨブ記』、二本のオリーブの樹から油が注がれる不思議な夢をみたゼカリヤが神様の啓示を受けて書く『ゼカリヤ書』。。。ようやっと、という感じで読んでいるうちにだんだんと魅き込まれて、とてもとてもスペクタキュラーで映像的な美しさにあふれる書物であることが「解ってきた」。。。というレベルまで来ました(笑)!

「雅歌」に影響されて(←素敵!と思うとすぐ影響される私、お恥ずかしい😅。。。)新曲の歌詞を書いてみました。

「オリーブの樹の下で」

わたしだけのあなた。

あなただけのわたし。

他に何も欲しいものはないから。

愛は奪うものであると想ふ。

すべてを捨ててあなただけに向かう。

誰も邪魔は出来ず、

どんな闇も消える。

永遠より永く護っていて。わたしを。

甘い蜜の場所はわたしを揺り起こす。

香り草の山にあなたを誘う。

愛に満たされ赤く染まる胸と

祈りの言葉捧げ今日も生きる。

わたしだけのあなた。

あなただけのわたし。

他に何も欲しいものはないの、

オリーブの樹の下で、

あなたにくちづける。

永遠より遠く刻みつけて、あなたを。

わたしを。

総てを。

先日お祈りの時間に視た朝焼け、空が本当に輝いていました!

昨日作った新曲です。タイトルは「オリーブの樹の下で」。

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まだ歌詞は完成していなくてラララ。。。です。こんな作ったままお化粧もせずワンコーラスだけ。。。の状態でアップして良いのかナ?!

と思ったのですが、子供の成長物語?のように録音したり歌詞が出来たり、これから完成していくプロセスを楽しんでいただけたら。。。と思いました。昔はラジカセでこのように録音して、

断片を何回も何回も聴いて直して1曲に仕上げていました。昭和〜平成でしたネ(時代を感じます。。。)今はラジカセ→iPadのボイスメモです(笑)。

出来た!と思って通して録って、お茶やコーヒーを飲みながら冷静に聴いて、自分の曲にOKを出す。。。その瞬間が楽しいのですよネ。ツールが変わっても、やっていることは本当に変わっていません。

新曲のイメージはドラムがガンガン鳴ってる感じ、ディストーションのギター・ソロ!もちろん自分でも叩く予定です!

いつも御一緒させていただいているBANDでレコーディングしたいナ〜。

祝福感あふれる賛美のロックンロール!が目標です♪。

7/5のライブまでに歌詞を完成させますので、どうか御期待くださいませネ❤️。

今日のみことば。

「わたしは言葉をついで御使いに尋ねた。『燭台の右と左にある、これら二本のオリーブの木は何ですか。それは二本の金の管によって、そこから油が注ぎ出しています。』

彼がわたしに『これが何かわからないのか』と言ったので、『主よ、分かりません』と答えると、彼は、『これは全の主の御前に立つ、二人の油注がれた人たちである』と言った。」

(ゼカリヤ書4章:11〜14)

朝の4時から5時までの空気。「お聖さん」の逝去。

朝の4時から5時の時間、拙宅の裏の山にはとても爽やかな空気が流れています。鳥が鳴いて鶯も来て、お祈りには素晴らしいバイブレーション!いつも同じ場所で同じ時間にお祈りをするのですが、毎日継けていたら全体の気が上がるというのでしょうか、何か居るだけで気分が良い。。。って場所になって来ました。祈りのパワー、恐るべしです。

返すがえすも、祈りとは無力な人たちのものである、なんて言説がこの世の悪魔軍のものだってことがよくわかります。祈りを無力と思わせたい、迷信みたいなものだと信じさせたい。。。そういう人にとっては「自分の言説が正しい!」と言い張らないと困る訳ですものネ、出鱈目でもネ。と言うかそもそもが出鱈目を無理矢理信じさせるための言説ですから、推して知るべしって感じです。

同じように年金の問題が新聞などを賑わせていますが、ああいうこともすべて、出鱈目な言説を無理矢理信じさせて恐怖させたり撹乱したり、人の感情をいたずらに不安や不満で満たす→希望を奪って自暴自棄にさせたり、刹那的な娯楽や快楽に向かわせる→堕落させる、っていう悪魔軍の常套手段過ぎて。。。毎度毎度ようやるワ全く、と逆に感心してしまいます。

どうかそんなテに乗らないでくださいませネ!私も絶対乗りません(笑)。

ここ、あきる野市は都心からは確かに遠いですが、自然環境は抜群です。都心で仕事があって疲労困憊しても、帰って来れば元気になっちゃう。空気と水のおかげだろうと思うのですが、今はお祈りパワーもじょじょに増し加わってきて、音楽をやるのに実に向いている。。。場所になりつつあります。

うち一軒家で1階と2階があるし、寧ろ住居を別の場所にして、ここでライブや録音をやったらどうだろうか?ーと思えて来ました。以前はプロツールスの音が冷たく感じられて好きになれなかったけれど、10年経って機材もまったく変わりました。アナログの機材を使用した録音とは違っても、随分リアルで暖かみのある音が録れるようになりました。ライブも好きな場所でやるのは勿論楽しいけれど、自分が祈ってバイブレーションを整えて、気持ちが良いなア。。。と思える場所でやったらきっと、凄〜く楽しんでいただけるものになるんじゃないか?。。。

♪ひょっとしてそれって。。。ここなんじゃな〜い?!♪と、思わず自分の持ち歌を歌っちゃったりして。。。(笑)

20日には菅原弘明さんと郷田祐美子さんとここで録音することが決まっているので、成果があったらスグ御報告いたしますネ!まずトライしてみたらきっと、いろんなことが解ってくると思うのです。

お聖さん、こと田辺聖子先生が逝去。。。10代の頃から母の影響で愛読していました。いちばん好きな小説は『苺をつぶしながら』と『愛の幻滅』。『窓を開けますか?』も絶対外せない素敵な恋愛小説です。どちらも田辺先生が有名な御主人「カモカのオッチャン」と御結婚されて脂ののってきた時期の作品、であったと思います。

等身大の女性。。。”女の子”は卒業したけれど、まだ”オトナの女”にはなり切れない。。。そんな20代後半から30代前半の女性が仕事や恋に迷いながら、揺れながら自分を生きてゆく。。。軽やかな関西弁で描かれる「浪速のサガン」の、甘くてほろ苦い世界観が大好きでした。自分と重ねて微笑ましく想ったり、涙したり、あ〜、こういう時にこーゆーこと言っちゃう気持ちわかる!!と主人公の恋に痛いほど共感したり。。。

その後の「姥盛りシリーズ」はまだ未読ですが、これから老境にさしかかってゆく女性を描いた小説に共感する年齢になったのだなあ。。。と感無量です。主人公たちの生き方、仕事をして恋をして、迷って悩んで乗り越えて。。。向日性に満ちた等身大の女性像、はいくつになっても普遍だと思います。

普遍でないことがあるとすれば、今の時代、女性がピュアに一生懸命生きる、ことはそのまま「男性社会の消費財になる」ってことにすり替えられてしまう危険性があることです。その危険は恐らく以前からあったのでしょうが、じょじょに可視化されて来たのがここ最近、なのかもしれません。しかし「かつて存在した幸せな時代の女性像」に過ぎないのかと言えばやはり否、と思えます。純粋さや真摯さは女性の、もっと言えば人間の美質として普遍でなければならないし、普遍で無くなったとしたらそれが何故なのか、考え続けてゆかねばならないと思います。自分の10代から30代までを彩り支えてくれた「お聖さん」の逝去に、ずっとそんなことを考えていました。

田辺先生、素敵な物語を描いてくださって本当にありがとうございました。かつて乃里子や亜希子たちの自由さに共感しまた憧れました。あれは。。。青春のつづきの季節、だったのだな、といま苦く、甘やかに憶い出されます。

今日のみことば。

「ーーわたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。」(Matthew10:16)

2019.7/5(Fri.)鈴木祥子の日の出町金曜礼拝〜「主の道に恋をして♪」Syoko’s Friday Service in Yokohama,hinodecyo

再び、7月のライブのお知らせです。

2019年7月5日(金)

鈴木祥子の日の出町金曜礼拝〜「主の道に恋をして♪」〜

於;横浜日の出町/試聴室その3(横浜市中区長者町9-159 第1田浦ビル2F)

開場;18:00

開演;19:00

入場料

¥5500(+1drink)

メールや電話での事前予約、チケットなど一切不要です。町の教会にふらっ、と入ってみた。。。という感覚でいらしていただけたら、と思います♪。

(♪当日、15時から試聴室にて整理券をお配りいたします。

♪整理券をお持ちの方からの御入場となりますが、特に入場順など気にされない方は開演直前でも、開演後にいらっしてもお入りいただけますので、どうぞお気軽にお越しくださいませ。

♪当日のお問い合わせは

eachbearsmusicservice72821@gmail.com

イーチベアーズ・ミュージックサーヴィス

まで御願いいたします。

♪申し訳ありません、お電話でのお問い合わせは受け付けておりませんが、上記アドレスにメールをいただければお応え出来ますので、不明な点がございましたらどうか、こちらまでお問い合わせくださいませ。)

わたくし縁あって神様を信ずるクリスチャンとなり、7/5は信仰生活開始後初!のライブとなります。

果たして自分がどのように変わるのかあるいは変わらないのか。。。以前からあった教会音楽への傾倒が、今や信仰も含めてのものになり、そのことが歌や音楽にどのように作用するのか、ポップ音楽の中にはクリスチャニティと矛盾しないものもあれば、反・クリスチャニティを推し進めるものもあります。現在は寧ろその方が断然多い、と言えるかも知れません。そういう中で矛盾無く音楽と関わってゆくには?自分自身がポップスの魅力を見失わないようにするには?。。。など考えること山積み!な今日この頃、

どうかそんなテーマにおつき合いくださり、あるいはそんなテーマはまったく無視して、改宗後?初ライブにいらしていただけたら幸せです。神様への賛美とポップスの魅力、果てはロックンロールの神聖、を全部まとめて表現出来るようになりたい!。。。それが夢で無くいつか現実に起こるよう、どうかその力と勇気をお与えください。。。と、今日も神様に祈るスズキなのでした。

3/30at the hotel in Vienna.

スズキの雨のあきる野通信。

東京は一日じゅう雨でしたネ!。。。と言ってもここは東京都民も知らないと言われるあきる野市、東京、のニュアンスがまったく違うのですがそれもその筈、ここは十何年か前までは西多摩郡、だったのですって。すぐお隣の日ノ出町は今も西多摩郡のまま、ここがあきる野市となったのは様々な大人の事情があったみたいです。良いナー、東京都西多摩郡。そっちの方が昔っぽくてカッコ良い。

唐突なのですが最近アジフライサンド、に凝っております。揚げたてのアジフライをライ麦パンで挟むという原始的サンドですが、キャベツの千切りかサラダ菜を塩胡椒・ホワイトバルサミコとオリブオイルの単純なドレッシングであえたものと、ボイルドエッグ沸騰してから8分茹で、をスライスして一緒に挟みます。ライ麦パンにはバターとマスタード、これを耳も落とさず半分に切ってワイルドに頂く雨の午後、コーヒーにコンデンスミルクを入れるんじゃなくて予めコンデンスミルクをたくさん入れたカップにコーヒーを注ぐベトナミーズスタイル、甘っ!でも美味。アジフライから手作りしたらもっと美味しいのでしょうネ。衣をつけて揚げて。。。今度やってみようかと思います。もっと暑くなったらもっとワイルドに?ウスターソースで行きたいところです。

ドレッシングを手作りするとサラダが本当に美味しくて、市販のドレッシングは味が濃〜く感じられて食べられなくなってしまいます。何のサラダかによって純米酢、千鳥酢、バルサミコにホワイトバルサミコ、オイルもオリブオイルか胡麻油、菜種油とニュアンスが違う。。。そこにマスタードを溶いて玉ねぎとトマトの薄切りを漬けておいて、しばらく放ってからテーブルに出す寸前に、単純なグリーンサラダの上にかけたりすると本当に美味です。夏はにんじんと夏蜜柑のサラダ、ツナとキウイのグリーンサラダなんかもsweet&sourで爽やかです。柚子胡椒と胡麻油とぽん酢で香菜のサラダなんかも良いですネ。

じゃがいもを茹でて薄切りにしてバターで焦げめがつくくらい炒めて、オムレツにフワッ、とくるんでその上に玉ねぎみじん切りとトマト粗みじん切り、トマトケチャップをバターで炒めて作ったソースをかけてパセリをパラパラっ、と。。。あ、予め卵液にパセリを混ぜちゃっても良いですネ。これ、高峰秀子さんのお料理本で見て作ったらとっても美味しかったので休日のランチなどにいかがでしょうか??バウアー・オムレツと言うのですって。

そんな単純な料理?を作って悦に入っている、スズキの雨のあきる野通信でした♪。

溝口健二の画面の、この世のものならぬ力。

今日は大好きな映画のことを書かせてください。私は1950年代の日本映画が大好きなのですが、その頃を代表する監督といえば。。。

小津安二郎

成瀬巳喜男

溝口健二

の名前がまず挙げられるのでは無いでしょうか。そして3人の名匠のミューズといえば。。。

原節子

高峰秀子

田中絹代

まさに日本映画を代表する3人の大女優の名前が挙がると思います。じゃあそれぞれの代表作は?。。。といえば、

小津安二郎×原節子=『東京物語』

成瀬巳喜男×高峰秀子=『浮雲』

溝口健二×田中絹代=『西鶴一代女』

。。。であることも論を待たないと思うのですが、私はなかでも溝口健二×田中絹代という不世出のコンビにもの凄く魅きつけられる何かを感じます。それは

「溝口健二の田中絹代への愛の、一種異様な深さと純粋さ」

。。。が画面を通じて伝わって来るからなのだと先日、『雨月物語』を観ていて気づいてしまいました!(やっぱ自分が信仰をもつと人の信仰にも敏感?になるからでしょうか。。。)

勿論小津監督の原節ちゃんへの愛、

成瀬監督のデコたんへの愛を、

画面を通じてひしひしと感じるのは間違い無いのですが、

溝口監督の絹代さまへの愛。。。

これはちょっと異質で男女の愛、監督の女優への愛、というのを超えた一種宗教的な愛、

を感じてしまうのです。

『雨月物語』の後半、京マチ子ーーこの方もほんとうに妖しく美しい女優さんでした。御冥福を心からお祈りいたします。ーーの演ずる魔性の女・若狭の幽霊から逃れた源十郎(名優・森雅之!)が、命からがら絹代さま演ずる女房、宮木のもとに帰って来ます。

身体じゅうで喜びを表して夫を迎える宮木、子供を抱きしめて涙を流す源十郎。表面は穏やかですが、名優二人の演技が火花を散らす名場面です。

やがて疲れて眠りに落ちた源十郎を優しい目で見守りながら、蝋燭に火を灯し夫の破れた着物を繕いはじめる宮木。燭光に照らされた絹代さまの横顔。

そして朝の光が扉の隙間から差し込み、宮木は繕いものを続けるのですが、ーーじつは宮木は。。。とうに死んでいる。夫を迎えたのは宮木の亡霊だったのです。

女性、と云うもののの美しさ、がこの世に存在するとしたら、それはこの場面での田中絹代の美である!とあたしゃ言い切っちゃいます。

無心で、純粋で、控えめで、浄らかな、

ーこの世のものとも思われない聖性ーー

と言うのでしょうか。そんな目に視えない、在るか無いか解らないようなものを画面に充満させることが、何故可能なんだろう??とずっと不思議だったのですが、何度も観ているうちにそれは

溝口監督の絹代さまへの愛

に他ならない。。。と思えて来ました。溝口監督は絹代さまの中に「女性」の聖性を、まるで少年のような清らかな憧れを見出している。。。

『西鶴一代女』のお春もそうでした。美貌ゆえに運命に翻弄され、最後は乞食にまで転落してゆくひとりの女。その姿を惨めさのカケラも無く、気品さえ滲ませて演じる絹代さま。杖にすがり何処へとも無く去ってゆくラストシーンのお春の姿に、何者をも侵しがたい聖性ーーを感じて圧倒されたのは私だけでは無いでしょう。

或る種の宗教性、と云ったら極端なのでしょうか。女は女であることによって既に救われているのだ、とでも言うような、その肯定的な女性観は「女」を穢れたものと見做して忌避したり、逆に「母性」を必要以上に崇め、持ち上げたりするような俗な視点からあまりに遠く、また田中絹代ほどその女性観に相応しい存在は居なかったーーかのジャン・リュック・ゴダールが尊敬する映画監督を3人挙げよ、と問われて「ミゾグチ、ミゾグチ、ミゾグチ」と応えたという有名なエピソードがありますが、溝口監督の純日本的な世界が、非ヨーロッパ的だからこそタイムレスであることの証明のような気がします。画面のなかの絹代さまがミゾグチにとって永遠の、真なる女性であるように。

ーー男性のなかには、所謂ヘテロセクシュアルであっても女が大っ嫌い、な人も居ます。

女好き、と女嫌い、は同居するのです。

かと思うと、放蕩の限りを尽くして女性を泣かせたとしても、

一見クールで素っ気無かったとしても、

女性を善きものとして捉え、対等に愛することの出来る男性も居ます。

いや〜不思議ですネ。

後年絹代さまは溝口健二の生涯を描いた新藤兼人監督のドキュメンタリー『ある映画監督の生涯』に、こんな言葉を残しています。

「もし(溝口)先生がほんとうに、心からわたくしを妻にしてやろうと、そういう思召しがあったのだとしたら。。。そういうふうに先生がわたくしを見込んでくださったのだとしたら、女優としてじゃ無く女として。。。この田中絹代という女はもう生涯結婚しなくても、結婚した価値のある女だと思うんです。

。。。ねえ新藤さん、そうじゃございません?」

「Happiness」〜1990年の幸せ、2019年の幸せ。

「Happiness」という1990年に書いた曲を、コード進行は全くそのままでメロディと歌詞を書き換え、先日から作りたかったリズミックなゴスペル曲、が出来上がりつつあります(7月のライブでぜひ聴いてくださいませネ♪)。

この曲(「Happiness」)のオリジナル・ヴァージョンはお聴きいただくとわかるように教会音楽、ゴスペルをすごく意識した曲作りやアレンジが為されています。あとスタックス系のソウル、にも影響されていますネ。Janis(Joplin)のリリックにも影響されてますがJanisはスタックスのソウルに影響されてるので、どっちにしても同じことなのです(笑)。というか、Janisの歌に出逢ってショックを受けたら、Janis〝が〟出逢ってショックを受けた音楽にも出逢ってしまった、という二重構造で、影響を受けるってことはそういうことだナ、と今になってかえって納得したりします。とても気に入っている曲のひとつなのですが、リリックに関しては若いのに悲観的(笑)で、それを今の心境に作り替えて、自分の新しい歌として&讃美歌として歌えるようにしたかったのでした。

過去の曲を振り返って思うのは、自分の作曲スタイルは一貫して音楽史観的である、ということです。必ずルーツがありルーツに基づいていて、そこから外れたものは1曲も無い、と言っていいと思います。ルーツを護るから新たな発想が出来ると言うか、Homeがあるから旅に出られると言うか、それが信条で他の書き方はしていない。。。「Happiness」ならゴスペル、ソウルだし、同じ時期の「Sweet thing」という曲は同じゴスペルを、ソウルじゃ無くフォークやカントリー、ホワイト・ゴスペルの方に寄せている。。。という違いはあれど、どちらの曲もルーツとなっているのは教会音楽です。

そう思うとやはり、キリスト教との縁の深さというのを感じるのですね。先程の影響の話では無いですが、出逢うべくして出逢ったというか、子供の頃通った日曜学校も意味をなしてくるというか。。。

人生というのは面白くて、結構永い時を経ないとその出来事の本当の意味やメッセージが解らない、ということがあります。「Happiness」を新しい歌にしたい、と思ったのは

♪幸せはきっと神様の

ほんの気まぐれなプレゼント。

せいいっぱい両手を伸ばしても、

届きはしないこともあるけど

。。。というリリックが気になってしまったからなのです。今の自分からすると

「違う!」と思ってしまったのですネ。

祈る、ということを知らなかった若い頃の自分=Happiness(1990)

今の自分=ニュー・ヴァージョン(2019)。。。(関係無いですが◯和何年、と云う言葉は絶対に使いたくありません。何か平成、の時には感じなかった本能的なイヤさ、を感じます。)

という感じで、「幸せ」を捉え直してみたかったのです。トシを取ってるのにニュー、ってところが矛盾していますが、オールドになる程ニュー、というのは、よくわからないけど目指したい場所でもある。。。と何となく思いました。

一生懸命練習して、7月5日の金曜礼拝で聴いていただけるように、

そして1990年仕様のヴァージョンと合わせて一緒に歌っていただけたら良いナ!

と(勝手に)イメージ・トレーニングしたりしております。小さな町の教会にふらっ、と(♭!)入ってみたような感覚でいらしていただけたらとても嬉しいです。スズキがそこであなたをお待ちしております^_^(勧誘されるんじゃ無いか?とか御心配なさらないでくださいませネ。わたくし、いかなる団体にも所属しておりません!)

Have a nice Thursday and…

Let’s sing together on Syoko’s Friday Service in 日の出町at 試聴室その3♪!

今日のみことば❤️。

「ーだから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」(Matthew 10:32〜33)

7月のライブのお知らせです。

鈴木祥子の日の出町金曜礼拝〜「主の道に恋をして♪」

2019年7月5日(Fri.)

50代にして「十字架に出逢って」しまい、キリスト・イエスの信徒となったスズキ。
入信と呼ぶべきか改宗と呼ぶべきか、信仰とポップスは両立するのか?
(
そもそもロックンロールとはゴスペル由来であるし、矛盾は無いようにも思われる。。。)
福音(Gospel)と祈り(Prayer)と音楽(Music)の関係、をかんがえつつこれからの自分の歌を
模索する、スズキ2019年初ソロライブ、

電話予約、メール予約、チケットなど一切不要です。かのゴスペルの名曲、
People get ready』で歌われているように、Don’t need no ticket,You just get on board♪!

どうぞふるって御参加くださいませ!

75();横浜日の出町・試聴室その3http://shicho.org

開場;18:00
開演;19:00

入場料  ¥5500(+1drink)

♪整理券を15時からお渡しいたします。
☆15時より前にお越しになりますと、歩道が狭く通行の妨げになりますので、どうか御遠慮くださいませ。

♪整理券をお持ちの方から先の御入場とさせていただきます。
♪整理券をお渡しする時点で万が一定員に達した場合は、ツイッター等でお知らせいたします。

(♪開演直前、開演後にご到着された場合は、どうかそのまま御入場くださいませ。)

♪申し訳ございません、当日のお問い合わせには御対応致しかねます(お電話はございません)が、

eachbearsmusicservice72821@gmail.com

にメールでお問い合わせいただけましたら、出来る限り対応させていただきます。どうか御了承くださいませ。

♪ご来場頂きました方はご入場していただけますので、どうか御安心していらしてくださいませ!

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